阪神・淡路大震災・・・つづき

今日は大寒ですが、暖かい一日になりました。

あの日も、一月の神戸にしては比較的暖かったように思います。
思ったより早く、娘夫婦が運転してきた車は無事到着して、お姉さんとお母さんと積めるだけの荷物を載せて甲子園まで帰ってもらいました。
残った我々は、元来た道を自転車で帰ろうとしたのですが、その自転車はパンクをしていて、仕方なしに徒歩で戻ることになりました。別に急いで戻らなければならないという訳でもないし、時間は十分あるので、暗い夜道を歩きはじめました。
来るときは、とにかく、必死で、周りをあまり見ていなかったのですが、こうしてゆっくり歩きはじめると、暗い中にも地震の被害のひどさが見えてきました。完全に崩壊し屋根だけが残っているその下には、まだ人がいるような気がやはりします。震災直後一日たったぐらいから火事場泥棒のように、倒壊した家屋から金品を物色するような輩がいたそうで、そんな人間がうろついているのではと、少し不安にもなりました。
そんな心配をしていると、ボランティアの人か、消防関係の人たちでしょうか夜警に廻っている姿を見かけました。これなら治安は大丈夫のようで、少し安心して歩くことができそうです。

画像
 ひょうご安全の日公式サイト(http://www.19950117hyogo.jp/index.htm)より

二人で、神戸にいたころの話や、芦屋、夙川、などの桜の話をしながら、思い出とともに、今現在のあまりにも変わりすぎた景色を比べつつ歩いているうちに、国道43号線が目の前に。倒壊した阪神高速道路が・・・神戸にいるころこの43号線も、その上の阪神高速道路もよく走ったものです。今は、壊れた車や、コンクリートのガレキで、一部しか通行できない状態です。
そして、見ました。半分落ちそうになっているバスの姿を。その前の道路は完全に倒壊して無くなっており、空間に乗り出したバスの姿は、何とも言い難いものがありました。

この43号線、阪神高速道路は通勤時間帯は通勤通学だけでなく流通のトラックなどでいつも渋滞するところです。もう少し時間がずれていたらより大きな惨事になっていたと思うと寒気がします。渋滞して止まっている車の上に、高速道路の橋げたや道路そのものが、またその高速道路でも渋滞していた車が落ちていき、きっと流れたガソリンに引火した火が周りいっぱいに広がり凄惨な状況を呈したことでしょう。真っ暗で、時折通る救援などの関係車両の光に浮かび上がる43号線を見て、しばらくは動くことができませんでした。

途中の阪神電車の線路上では、脱線したままの電車がそのままの状態で、いつ神戸まで開通できるのか全く分からない状態でした。(また書くことになるかもしれませんが、その時は、そうしばらくたって神戸の街を歩いた時も同様に思ったのですが、復興には数年かかるだろと・・・しかしハード面での復興は、奇跡と言えるぐら言早いものでした。あの阪神高速道路はその年の9月末に阪神・阪急などの私鉄は、6月末までに、ライフラインのガス水道は4月に、復旧復興を遂げ、西と東は完全につながっていました。同時に、街の復興も早く、活気に満ちた姿は、その時にはもはや見せていました。)

甲子園に近づくにつれ、倒壊していない家も増え、明かりがもれています。ある場所では、地下水がこんこんと湧き出ており、タンクや鍋を持った人が、夜中にも関わらず、水を汲んでいました。
ようやく、約6㎞の道のりを歩いて、甲子園の家につきました。もうずいぶん遅くはなっていたのですが、興奮しているのかなかなか寝付けませんでしたが、ウトウトしたらしく気がつくと、雨の音がしていました。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック